毎度湯川です。お盆のうち2日間は帰省で奈良県の山奥におりました。父の生まれ故郷で、現役をリタイアした両親が週末畑をやりながら、かつて祖父母が住んでいた家を維持しています。
奈良県最南端の十津川村の北隣、大塔村(おおとうむら、現在は五條市大塔町)という、山と谷しか無いところで、大塔という地名は、後醍醐天皇の皇子、大塔宮(おおとうのみや)に因みます。南北朝時代については日本史学が専門の弊社スタッフ三谷が、次回のブログで詳しく解説いたしますとして、負けた側ですね。奈良県南部で自身の皇統を正統として挙兵の準備をしましたが、最期は捕えられ亡くなった方です。
大塔宮を支え、地域の偉人と称えられる人物の墓があることは昔から知っていましたが、どこも山の奥深くにあり、ほとんど行ったことはありません。今考えると、南朝の正統性が認められたのは明治以降で、室町時代から江戸時代にかけての数百年間、外からは見えない場所に隠されてきたのかと思い至ります。
どちらの標識にも落石や崩落の警告が添えられているのが如何にもです。
私が今でも本籍と将来入る墓を置いている、限界をとうに超えた、子供もいない生産性のない限界集落は、時代の主流に負ける伝統を持っていました。江戸時代末期には、「天誅組」本陣が立てられた場所でもあり、こちらも陽の目を見なかった側です。三谷君解説よろしく。
また、祖母が存命中、湯川の家は武田の落武者が元だと言っていたことがあり、ホンマかいなと思っていたところ、姓の由来を調べられるサイトにその通りのことが書かれており、あながち間違いでもなさそうです。負けた側です。
ほんと、一生あがいて負け続けるのが私の人生として正しいのだろうと思っています。
とりあえず笑ときます。
以上。